勇魚バックナンバー Mar.2000 No.22
勇魚 No.22 目次

捕鯨再開に向けて大きな流れを
森本稔 水産庁次長

鯨とことなかれ主義
柴田翔 作家

海洋生物と“絶滅”の定義について
ダグラス・バタワース ケープタウン大学応用数学部教授

鯨肉を食べることが健康に害を及ぼすか?
ミルトン・フリーマン カナダ・アルバータ大学極地圏研究所・上級研究員

鯨の思いであれこれ
福田常雄 岩手放送最高顧問

鯨と俳句
三浦喜一 フリーライター

素朴さが美味しい鯨料理

森本 稔
森本 稔
水産庁次長
- ごあいさつ -

捕鯨再開に向けて大きな流れを
 西暦2000年最初の「勇魚」にご挨拶を申し上げます。
 私は、昨年11月、島一雄氏の後を受けて国際捕鯨委員会(IWC)日本政府代表を拝命しました。10年以上にわたって日本代表を務めてこられた島氏のご尽力に対し、誌面をお借りして感謝の意を表明します。
 さて、最近の捕鯨情勢をみてみますと、我が国が終始一貫して国際捕鯨取締条約に則った、科学に基づく捕鯨の正当性を主張してきたのに対し、反捕鯨国や環境保護団体は、最早、捕鯨再開に反対する科学的論拠を失い、その反対態度はなりふり構わぬものになっています。例えば、過激な環境保護団体グリーンピースは、昨年末から、南氷洋鯨類捕獲調査船団に対して執拗かつ暴力的な妨害活動を行い、また、反捕鯨国の急先鋒であるニュージーランドのクラーク首相は、このグリーンピースの妨害活動を支持し、法的及び科学的根拠を持たないまま捕獲調査を批判しました。
 一方、こうした理不尽な動きとは反対に、わが方を勇気づけてくれる動きも出ています。昨年5月、米国やカナダの著名な学者3氏共著による「IWC条約を愚弄する輩」(米澤邦男氏訳)は、現在のIWCがその拠るべき国際捕鯨取締条約を無視していることに警鐘を鳴らし、鯨類資源管理制度を一刻も早く完成させるよう求めています。
   こうした中で、本年4月にはケニヤの首都ナイロビで第11回ワシントン条約締約国会議が開催されますが、日本政府は、資源状態が健全な南氷洋及び北西太平洋のミンククジラや北東太平洋のコククジラを附属書Iから附属書IIへ移行するための提案を行っています。また本年7月に豪州のアデレードで開催される第52回IWC年次会合では、厳格な資源管理に基づく新たな捕鯨の再開に向けて粘り強くわが方の主張を訴えていきます。
 捕鯨の再開のためには、水産庁だけではなく、国会の先生方、地方自治体や流通業者を含めた捕鯨関係の皆さんが一丸となって取り組んでいかねばなりません。こうした取組みを通して、捕鯨再開に向けて大きな流れを作っていきたいと考えます。皆様のご協力をお願いいたします。

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柴田 翔
柴田 翔
作家
鯨とことなかれ主義
― 反捕鯨に隠された傲慢な人間優越主義−
筑摩書房刊「希望としてのクレオール」(1994年)より
地球環境問題の象徴?

 3月末の読売新聞にも出ていたが、今年(1993年)の5月に、京都で国際捕鯨委員会が開かれるそうだ。一定枠内の捕鯨なら鯨が絶滅する恐れがないことは、既に科学的にはほとんど決着がついている問題である。ノルウェーは京都総会の結論のいかんに関わらず、捕鯨を再開することを宣言している。だが、ECの大部分の国やアメリカでは、鯨が半ば地球環境問題のシンボルと化しているから、5月の京都は例年の春の観光客に反捕鯨の国際的な掛け声が加わって、なかなか騒々しいことになりそうである。
 反捕鯨派の人たちに言わせると、「動物福祉」の立場からして、鯨を殺すことは許されないのだそうである。
 そして日本のなかにも、日本はいまや豊かになり、むりに鯨肉を食べなくとも困らないのだから、この際、国際的な協調を優先して、世界の世論が反対する捕鯨からは撤退するべきだという意見があるようだ。
 しかし、そうした状況追随的な態度、いわば国際的ことなかれ主義で当面の問題を回避していて、日本はこの先、21世紀の荒波を乗り切って行けるのだろうか。安保理事会の常任理事国などになって、大丈夫なのだろうか。
 話をまずは捕鯨問題に戻そう。
   そもそも、鯨は殺して食用にしてはいけない、牛なら殺して食べてもいいというのは、人間の身勝手な考え方である。
 反捕鯨派の人たちは、鯨は可愛いから、あるいは威厳があるから、特別だと言う。また、鯨はとても頭が良くて、人間に近いと言う。また、牛は人間が食用に飼育している家畜だが、鯨は野生動物だとも言う。
 そうしたことはみな、事実かも知れない。だが、だから牛は殺して食べてもいいが、鯨は殺してはいけないと言うなら、それは間違いである。
 可愛い、威厳がある、頭がいい、家畜ではない――。それらはみな、人間の基準による勝手な評価に過ぎない。生命という点では、鯨と私たちが日々食用にしている牛や豚の家畜との間には、何の区別もない。もし反捕鯨派の人たちが鯨を食用にしてはいけないと言うなら、少なくともすべての肉用を絶って、菜食主義者にならなければ、首尾一貫しない。
 いや、菜食主義になっても、それで矛盾が完全になくなるわけではない。植物もまた静かな生命を生きている。私たちが植物を食用にするとき、その生命を断って、自分の生命の維持に役立てている。私たちに先人たちは一粒の米粒を無駄にすることも戒めたが、それも米を作る労働の貴重さを教えると同時に、そこにひそむ生命を無駄にすることを戒めたのである。

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生命のエゴイズム

 ひとつの生命が他の生命を自分の維持のために取り組み、役立てる。それが個々の生命のエゴイズムであり、同時に大きな生命全体の循環の実相である。 人間は火葬という儀式によって土に帰ることを止めたが、かつては土に帰り、土として他の生命に役立ち、そのことによって宇宙の生命の循環に加わっていた。
 野生の鯨を食用にすることも、食べるための家畜を飼育することも、また更には田畑の穀物野菜を収穫することも、他の生命を自分の生命の維持のために取り込み利用する人間のエゴイズムの働きであり、同時に、人間もまた大きな宇宙の生命の循環のなかにしか存在しえないということの現れである。
 人間が取り込み、利用するさまざまな生命のうちから鯨だけを取り出し、特別の位置を与える――。それは優しい心のように見えるが、しかし実は、可愛いとか威厳があるとか、あるいは家畜である牛は神から人間に与えられたものだが、野生動物は自由な存在だとかいった、人間の勝手な価値観を自然に押しつけているだけである。それはただの傲慢な人間優越主義に他ならない。
 もちろん、ある文化が何かの理由で特定の動物を特別に大事にすることは、よく見る現象である。かつてのイギリス、アメリカは代表的な捕鯨国だったが、その末裔である現代の欧米文化がクジラに特別の愛着を持つようになっても、そのこと自体は趣味の変遷の問題だとすることもできよう。
  だが、インドのように牛を聖なる動物だと考える文化もあるのであり、その間に何の優劣、正否があるわけではない。もし、鯨に愛着を覚える文化が唯一正しい秀でた文化だと主張するとしたら、それはまぎれもなく文化帝国主義であり、非寛容の思想である。
 非寛容の思想はいつもナチスやスターリニズム、あるいは宗教的狂信のような恐ろしげな姿で現れるとは限らない。現代の鯨保護主義者たちの優しげな身振りのなかにも、自分の文化と感情を絶対化する非寛容の思想が現れている。

日本の対処法

 いや、私は捕鯨の是非に深入りし過ぎたかも知れない。大方の日本人は、おそらく捕鯨を悪だとは初めから思っていない。問題はむしろ、そうした鯨保護主義が現代の欧米中心の世界の中で声高な世論となり、現実の国際政治の場でもそれなりの力をもっているという事実を前にして、日本がそれにどう対処するべきかということである。
 もちろん鯨捕鯨主義に反対して、捕鯨を強行するのは、国際政治のなかではリスクを伴う行為である。そこから、初めに言ったように、国際的に嫌われてまで捕鯨に執着することはないではないかという妥協的な意見も出てくる。だが、自分たちの考え、原理原則を放棄して、まわりの動向に追随する国際的ことなかれ主義で、これから先のほんとうのリスクを乗り切れるものなのだろうか。ことは捕鯨に限らないのである。

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 話は飛ぶようだが、やはり最近の新聞の世論調査によれば、国際貢献のためには憲法改正も可とするという意見が急速に増えつつあるという。それを読んだ時も、私は捕鯨問題を巡る日本の意見の動揺を思い出した。
 私は現行の憲法を検討の対象にすることに反対ではない。憲法もまた特定の状況のなかで人間が作ったものであり、それを絶対視することは、精神の衰弱を招く。
 だが、今の急速な世論の変化には危惧を抱かないわけには行かない。それは、変容する世界とそのなかでの日本という国家の将来の在りようをほんとうに根本から考えた上での、内発的な意見の変化なのだろうか。ことによったらそれは、欧米を中心とした諸外国から非難されるのを恐れるがための、外圧による変化なのではないか。
  世間の評判が悪くなると困るから、まわりに合わせましょうということだけのことではないのだろうか。もしそこに、状況追随的な、国際的ことなかれ主義が隠れているとすれば、それは国家百年の計を誤ることになる。
 日本がやがて近い将来に安保理事会の常任理事国になることは、おそらく避けることができない。だが、憲法問題も含めて、それを引き受けるだけの思想的用意が我々にあるのかどうかは、相変わらず、ひどく心許ない。常任理事国になれば、すべての決定に自分で責任を持つことになる。国連が決めたからそれに従いましょうという訳には行かない。もはや国連中心主義を隠れ蓑にすることはできない。鯨問題は鯨問題のみに止まらないのである。
第45回IWC年次会議(京都)
第45回IWC年次会議(京都)      Photo by Mineo Takagi

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ダグラス・バタワース
ダグラス・バタワース
ケープタウン大学応用数学部教授
海洋生物と“絶滅”の定義について
― CITES、IUCN それに予防的原則との関り合い―
序論

 私がこの問題に興味をもったのは、1997年にジンバブエで開かれたワシントン条約(CITES)締約国会議の時である。
 CITESは、危機に瀕する生物の国際取引を規制する条約である。例えば、CITESの付属書Tに掲載された生物の国際取引は禁止される。では、“ 危機”とはいったいどのような状態をいうのだろうか? CITESの付属書への掲載基準は、これを明確に“絶滅の危機に瀕する”と規定している。さらに、“絶滅”の意味については、国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危機種リスト(レッド・リスト)が、“最後の個体が死滅した”場合に、これを“絶滅”とすると定義している。
 現在、全てのヒゲクジラ類が、CITESの付属書Tに掲載されているが、ジンバブエの会議で、そのいくつかの種について、付属書Iから外す(ダウンリスティング)提案が行われた。この中に、ニタリクジラの西部北太平洋系群も入っていたが、その時のIUCNの勧告は、次のようなものであった。
 “国際捕鯨委員会(IWC)の科学委員会は、ニタリクジラの成熟メスの資源量が、捕鯨が行われる前の資源量レベルの51%と推定しており、これは、CITESの付属書Iに入る生物学的基準のギリギリのレベルである”
 このIUCNの勧告について注意すべき点が二つある。それは、この51%という数字が、その当時、IWCの科学委員会が行った資源推定値の中でも最も控えめな数字であるという点と(これは後で述べる「予防的原則」とも関連する)もう一つは、付属書Iの掲載基準を、その資源が開発される前のレベルの50%以下に減少した場合としている点である。
   この同じCITES会議で、「海洋魚種に関するワーキンググループ」を設立する提案が出された。この提案は結局否決されたが、問題は、その提案国が、大規模に漁業の対象となっている海洋魚種の中に、CITESの付属書に掲載すべきものがあると主張している点である。
 こうした議論に従えば、現在、漁業が対象としている海洋魚種の中で、CITESの付属書Iに掲載されないものは殆どなくなってしまう。そうなれば、それらの魚の国際取引が禁止され、その社会経済的な弊害は計り知れない。
 また、こうした付属書掲載には、生物学的な正当性がない。漁業では、通常、その開発前の資源量レベルの30%〜60%は、最大持続生産量(MSY)が可能になり、最適な資源の利用ができるレベルと考えられている。確かに、多くの魚種がこのレベル以下にまで減少している。しかし、最適とはいわないまでも、持続的な資源の利用が可能であり、捕獲を全て中止しなくても、管理をしながら資源量の回復が図れないことははい。ましてや、絶滅の危機に瀕しているわけでもない。
 絶滅は、捕獲の対象とならなくても、資源が、それ自身で維持していけないレベル以下にまで減少したときに起きる。商業的に捕獲される海洋生物について、そのレベルがどの程度なのか、まだ、これからの研究をまたねばならないが、そのレベルは、最大でも開発以前の水準の10%を超えることは考えられない。CITESの掲載基準にある50%は、むしろ最適利用水準として望ましいレベルでさえある。

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主要点

 まず、CITESやIUCNの絶滅危惧種のリストに海洋生物を含める必要があるかという疑問がおきる。いままで、人間の利用によって多くの海洋生物が絶滅したのかどうか? そうだとする意見には、海洋生物の場合、陸上生物と違って、その絶滅をどうやって確認するのかという反論も出てくる。私も、CITESの貿易規制が、海洋種の絶滅を防ぐ上で大切な役割を果たす可能性のあることは否定しない。また、IUCNも、第三者的立場から監視役として重要な役割を持つ可能性もある。
 その次に、CITESとIUCNの双方に通じる“予防的原則”の解釈の問題がある。この予防的原則は、1992年、リオで行われた国際環境開発会議で提唱された。そこでは、“深刻な、あるいは回復不可能なダメージを与える恐れがある場合には、科学的な確実性が十分にないことを理由に、環境を破壊から守る対策を先延ばししてはならない”と述べられている。この考え方は、CITESの掲載基準でも採用されており、“加盟国は、不確実性がある場合には、種の保存に最も利するように行動すべき”と規定している。
  しかし、ここで問題は、そんな場合にも完全な科学的確実性などありえないわけで、この予防的原則がCITES掲載基準に使われると、“最悪の事態”を想定した決定がされてしまう。つまり、そのような事態がおきる可能性が殆どなくても、最も保護的な解釈によって種が絶滅危惧種として掲載されることになる。
 これは、全く非現実的なやり方である。飛行機が落ちる可能性が否定できないからといって飛行機に乗らない人はいないだろう。IUCNは、レッド・リスト掲載基準の見直しを検討しており、“最悪の事態”を想定して、予防的原則を解釈する今のやり方を修正し、不確実性に対しては“最悪の事態”から“極端な場合”を除いて“予防的かつ現実的”な対応をとるようにし、その査定者のあらゆる評価を明確に文章にするようにしている。これは適切なやり方だろう。しかし、それでも尚、データーには様々な解釈があり、それらを数量的に査定しない限り、依然として、その予防的原則の実行可能性や、また、それが全てに適用できるのかといった問題が残る。これは、人間が絡む、不確実性を持つその他の問題にも言えるのではないだろうか。

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結論

 他の種とは全く異なる環境にあり、しっかりとした管理の下で捕獲されている海洋種については、現在のCITESやIUCNのレッドリスト掲載基準と、全く別の基準を設ける必要があるのではないか。そうした状況にある種の場合には、他の種に一般的に見られるよりもはるかに多くの良質のデーターが入手できるケースが多い。これは、とりわけ漁業資源の場合、その資源評価が比較的正確であるためである。しかし、今あるような単一の基準では、漁業対象魚が、誤った警戒感から不必要な規制を受けることになりかねない。
  これは、資源評価がまともに行われていない生物種を保護する場合には、慎重を期して基準を高めに設定してしまうためである。
 解決方法があるとすれば、IUCNはCITESと別途に、絶滅の可能性を数量的に分析し、それに基づいたレッド・データへの掲載基準を設けることである。漁業管理でも、そうした数量的な資源評価による分析を含めて基準が設定されている。もし、CITESもそのような方法を採用していけば、CITESの掲載基準を海洋種に適用することに対する懸念も解消するのではないか。
第10回CITES締約国会議(1997年 ジンバブエ)
第10回CITES締約国会議(1997年 ジンバブエ)

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ミルトン・フリーマン
ミルトン・フリーマン
カナダ・アルバータ大学極地圏研究所
・上級研究員
北極圏住民の食糧安全保障に関する
国際研究アドバイザー
鯨肉を食べることが健康に害を及ぼすか?
 食物への汚染問題は、常に我々を不安にさせる。例えば、40年前に水俣湾で起こった水銀汚染の悲劇的な結果は、日本人のみならず世界中の人々に知られている。最近、英国と日本の科学者が連名で、「日本で食べられている鯨やイルカの肉、脂肪および内臓に、人に害を及ぼすほどの高濃度の汚染物質が含まれている」といった報告を行った。彼らの指摘が本当に正しいのか判断するために、カナダの事例が参考になるだろう。
 最近の研究によれば、カナダ北極圏原住民の9割以上が、依然として狩猟や釣りでとった海産哺乳動物や魚を食べている。北極圏に生息する動物は大量の脂肪を持っており、汚染物質はこの脂肪に蓄積されやすい。従って、こうした動物の脂肪分を常日頃、比較的多く消費している北極圏原住民の体内には、圏外住民よりもはるかに高い水準の汚染物質が検出される。そして、この水準は、各国政府が設定している「安全基準」を数倍も上回っている。
 30年程前、科学者がこうした高濃度の汚染を報告して、マスコミがとりあげたとき、カナダ政府と国民は不安に襲われた。最初に汚染状況の報告が公表されて以来、北極圏の国々の政府、大学などの研究者や公衆衛生の専門家が、高水準の有機塩と重金属を含む鯨肉と脂肪を多量に摂取した場合に予想される健康上のリスクについての多くの報告を行ってきた。これらの汚染物質は、通常、神経系統、生殖機能、循環機能、免疫機能などに障害を起こす疑いがあると報告されている。
  しかし、アラスカ、カナダ、グリーンランドなど汚染された海産哺乳動物を摂取している全ての地域において相当の研究が行われたにもかかわらず、健康に悪影響があるとの証拠はなんら見出されなかった。
 人体への影響について明確な証拠がないにもかかわらず、カナダ政府は、この問題について、6年間にわたる包括的調査に着手した。その結果、「カナダ北極圏における汚染物質の評価報告」(参加専門家80名、450ページ、1997年刊行)が作成され、その中に重金属、放射性核種、有機塩(PCB、DDT、HCH、クロルデン、ディールドリンなど)を含む食物の摂取が健康に及ぼす影響について触れられている。
 この調査は、日本の消費者の懸念にも関係してくるが、カナダ政府は、この調査の結果、海産物の摂取が人間の健康に与える利点のほうが、発生し得る否定的な影響よりも、はるかに勝ると結論づけている。さらにこの報告書は、「リスクについての情報が不十分であることや、これまで知られている伝統的食物[海産哺乳動物の肉と脂肪分]の持つ大きな利点を考慮し、原住民に対して、現在の食生活を大幅に変えるような助言はしない」という結論を下している。
 こうしたカナダでの包括的かつ周到な評価とは対照的に、今回、日本で報道された鯨肉汚染に対する警告には、海産哺乳動物の肉と脂肪分を食べる場合の栄養及び健康上の利点が、なんら言及されていない。

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鯨・イルカの肉や脂肪分の摂取を認めるか否かを判断する場合、このような周知の利点も合わせて考慮すべきであろう。
 鯨肉や脂肪分中の汚染物質を列挙するだけで、摂取する量や頻度について言及しなければ意味がない。環境汚染は何ら新しい問題ではなく、殺虫剤、除草剤、成長ホルモンや抗生物質を使用した農産品汚染も見られる。海水中に検出される水銀などの有毒性重金属の場合は、しばしば海中の岩や火山活動から生じる自然現象であり、何世紀にもわたって存在した可能性が強い。
 日本では、かつて、鯨肉は安価な動物性蛋白源として消費されており、その当時と比べれば、現在の消費量はずっと少ない。国際捕鯨委員会(IWC)に提出された報告によれば、10年前に宮城県の捕鯨集落およびその周辺地域で、年間一世帯あたりの鯨肉消費量は、130グラムから170グラムであった。また、北海道では、鯨肉摂取の頻度は捕鯨関係者で一週間に一度、その他では、およそ10日に一度であった。これに比べると、カナダ北極圏原住民の鯨及びアザラシ肉の摂取量と頻度ははるかに大きい。
 研究者達は、これらの化学物質について、現状の消費レベルであれば、それが人体に有害であること示す臨床的な証拠がないことを、いろいろな機会に説明している。世界保健機構(WTO)の報告によれば、鯨の体内組織にある高水準のセレンが、水銀の毒性を緩和することが示されているし、全米調査協議会が1999年に行った研究によれば、環境中のPCBやいわゆる「酵素撹乱要因」が健康に影響するという証拠はないと報告している。
  さらにカナダのケベック州政府による健康調査では、母乳中に高水準のPCBの蓄積が見られるものの、このPCBは、乳児や幼児の発育を阻害するものとは違うことが指摘されている。また、最近のカナダ政府の報告には、「一般の人は魚類と海産哺乳動物の伝統的な食生活を続けること、授乳期の母親は乳児へ母乳を与え続けることを強く勧める」と結論づけている。
 あらゆる人間の活動には何らかの危険が伴うことは誰しも認めるところである。予防接種や外科手術などの医療手段でさえ、併発症や死亡の危険を伴う。 同じく、自動車の運転、屋外スポーツ、喫煙場所への頻繁な出入りなどもそうである。人が何かを行おうとすれば、リスクと同時にそれに伴う利点も考慮しなければならない。
 がんの原因と予防に関する最近の研究で、2人の著名なカリフォルニア大学のがん専門家、ブルース・エーメスとロイス・ゴールド博士は、一杯のコーヒーに千種類以上の化学物質が含まれており、その半分以上が実験動物にがんを引き起こしたと述べている。だとすれば、毎日、何杯もコーヒーを飲む人は、がんにかかる危険性を持っていることになるが、だからといって、政府がコーヒーを飲むことを制限するようなことはしない。
 今回、日本で行われた鯨やイルカの汚染についての報告は、軽率かつ非常に不完全なものであり、いろいろな食物を常識の範囲内で適度に食べている人たちへの、信頼のおける説明が全くされていない。このような情報に対しては日本政府と国民が慎重に対処するように助言したい。

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福田常雄
福田常雄
岩手放送 最高顧問
鯨の思いであれこれ
 私が初めて泳いでいる鯨を見たのは昭和23年(1948年)8月である。
 岩手の山の中で育ったので、鯨といえば罐詰の甘露煮で、甘いうちにも塩味が利いていたので珍味だった。殊にもたまに寒天状の腱のような半透明の塊が出てくるのがうれしく独り占めしたものである。
 昭和20年代の初期といえば、とても今では考えられない敗戦の傷手で衣食住は最低を強いられていたが、他方、焦土と化した祖国を何とかして美しい山河に蘇らせたいという高邁な機運も生まれ始めてきた。
 岩手県では十和田八幡平と三陸海岸を国立公園にしてもらいたかったので審議会に申請していたが、願いがかなって田村剛博士を団長とする一行を迎えることとなった。
 私は当時岩手日報記者だったので、終始取材に同行した。
 当時、県政記者クラブでは誰も関心が薄く私だけだった。
 三陸海岸は、海岸線からいきなり広葉樹林があるのは日本でここだけと評価され、“海のアルプス”と名づけられた程である。
 宮古から気仙まで途中一泊したが、県の巡視艇早池峰丸は太平洋に出るとガブるので私は船酔いでとても立っておれなかった。
 この時、嘔吐を覚えながら見るともなく波間を見ると、鯨が悠々と尾鰭を高々と凧のように揚げながら群れをなしてわれわれとそう遠くないところで雁行しているではないか。
 もとより全容の見える筈はないがその勇姿にわが身が恥ずかしくなったのを50年経っているのにまだ忘れない。
 
 私はその後民放関係に移ったが、昭和30年頃、南極捕鯨から戻った、というので横浜港で船長から招待を受け、新鮮な鯨料理のご紹介の宴につらなることができた。
 生の刺身の美味しかったことを舌はまだ覚えている。それからはすっかりとりこになって店で買ったものだが、あの時のピンク色とはまるで違う真紅であった。もちろん味もお話にならなかったが、それでもあの時のご馳走を思い出して満足した。しかし、今はその切り身も店頭にない。

 私は引退すると同時に「これからの高齢者如何に生くべきか」を自らに課してカナダで一人暮らしを体験してきた。(「六十路からの旅立ち−バンクーバーわが“生体実験”の日々・現代書林」「人生に定年なし・第二の人生をいかに築くか・PHP研究所」)
 この時一夏を西海岸ウエスト・トレール島という孤島で過ごしたことは忘れることはできない。
 この島には本土の生活を切り上げて英系のゴードンという紳士が男性の友人と二人で住むという浮世離れした環境であった。
 毎日の生活は流石、貧乏臭いところがくこしもなくレベルが高かったが、万一の場合は無線交信をしているので、沿岸警備の舟艇が時を移さず接岸するとのことであった。
 二人は食事制限をしていて血糖値を心配していたが野菜や果物は畑から、魚は舟を出して釣ってきては食卓にのせていた。

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 初めての夜、ベランダの板敷きを荒々しく通る物音に驚いたが、翌朝聞くとオットセイのようで二人はびっくりする様子でもなかった。
 引き潮になると岩場には紫色のヒトデが点在するのが見えたがウミネコにとっては格好の食料になっているようで一個で満足している様子だった。いつかさわってみたが硬くて石のようだった。しかしウミネコにとってはこの上ないご馳走なのだろう。
 二階のバルコニーから海を眺めていると潮目がわかるようにいろいろな模様が糸クズのように漂っている。
 ある日海面が盛り上がるように魚群がこちらに向かって波立てて来た。
 それがどんな魚か知る由もないが、おそらく鯨に追われていたのではないだろうか。しかしこの日は三陸で見たような巨鯨は姿を見せなかった。
  やがて魚群も何処かに行ったらしく紺碧の海は再び静謐を取り戻した。

 私はバンクーバーで、日米漁業委員会の事務局長をしていた島一雄氏ご夫妻と殊の他懇意にしていただき、外美子夫人とはブリティッシュ・コロンビア大学の英語講座で級友でもあった。
 島さんは帰国後国際捕鯨委員会で日本代表となり、テレビで反対論を浴びながら孤軍奮闘している姿やそれを報じてくれる梅崎義人氏を見るにつけ、20年来お付き合いしようとはさらさら考えたこともなかった。
 それぞれの国にはそれぞれの慣習や文化が育まれているのに、鯨だけとはいわないにしてもそれを認めない“世界の世論”というものに動かされるという風潮は如何なものであろうか。
画:著者
画:著者

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三浦喜一
三浦喜一
フリーライター
鯨と俳句
 からくりの鯨のひげのしなりかな 潮吹けぬ鯨泳ぐや樹々の海

 掲句は、昨年11月、俳句仲間との忘年会の兼題(前もって出されている題)の「鯨」に私が投句した句です。とくにご説明するまでもないと思いますが、前句は捕鯨禁止が日本人の食生活ばかりではなく、伝統技術にまで影響を及ぼすという記述を読んだことからの発想です。後句は「国立科学博物館」という前書きをつけましたが、博物館の前のシロナガスクジラを読んだものです。あの実物大の模型に命を吹き込んでみたかったのです。さて、それが成功したかどうか。
 現代の俳句は、子規、虚子らが主張した「客観写正」を大切にしています。 つまり、見たままを詠む、ということです。この点からいけば、私の句はどう見ても観念的です。言い訳を承知で申し上げれば、実は私、鯨の実物を見たことがないのです。テレビの画面では見ていますが、これだけでは実物の迫力がピンと来ませんし、高級な尾の身のお刺身をいただいても、それで全体を想像することは容易ではありません。
 事実、さまざまな歳時記を見ましても、現存する地球上最大の生物の雄姿を詠んだ例句には出会いません。それが残念で、そんなとき私はホエールウォッチングや調査捕鯨船への乗り込みなどを夢見るのですが、これがなかなかで。
    ちなみに「鯨」は俳句では冬の季語とされています。南極の海から、冬、鯨たちが日本近海に回遊してくるから、というのが理由です。
 この2月下旬、鯨の仲間のシャチが名古屋港に迷い込み、川を上りだしたため、海へ戻す騒ぎがありました。これなど、日本人のやさしさでしょう。雑誌『正論』の3月号で「反捕鯨・グリーンピースの驕り」なる記事を読み、彼らがこういう日本人のやさしさをどう見るのか、聞いてみたくなりました。
 おっと、話は俳句のことでした。
 先日、久々に鯨鍋をいただきました。これはおいしかった。それだけに反捕鯨国やグリーンピースのことが頭に来て一句。
 
不条理が正義となりて捕鯨止む

ウーム、これは俳句ではありませんね。
俳号 三浦岳子

photo

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素朴さが美味しい鯨料理 写真提供:日本捕鯨協会
撮 影:高木 岑生
協 力:渋谷・くじら屋

鯨たたき
  鯨たたき
鯨のなす・はさみ揚げ
鯨のなす・はさみ揚げ
鯨・焼きおにぎり
鯨・焼きおにぎり
本皮
本皮
鯨コロッケ
 鯨コロッケ
鯨から揚げ
鯨から揚げ

裏表紙写真
マーク
Prepared by Japan Fisheries Association,Japan Whaling Association.

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JWA
JAPAN WHALING ASSOCIATION